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桃太郎「畑仕事が嫌なので虐殺してきた」

魅力的な物語には二次創作がつきものだ。それは、読み手による新たな解釈であり、ツッコミであり、語られなかった世界の補完でもある。

また、長く読み継がれた物語は地域や時代によって変化を伴う。多様な解釈や変化は、人々の轍であると共に、読者に新たな快感と、既知の物語との差異から嫌悪や違和感をもたらす。

 

多くの人々が慣れ親しんだ所謂、昔話はその最たる例だろう。

近年、昔話の内容や表現がマイルドなっているとワイドショーなどでも取り上げられていた。

しかし、元を辿れば私達が慣れ親しんだものも、実はもっと過激だったり異なる内容だったりしているわけで。「最近、少年犯罪が〜」的なお決まりの文句が昔話にも適用されてしまっているだけの事だ。

 

桃太郎

桃太郎

 

 

そんなマイルドな昔話は許せない派のお父さんお母さんは、是非ちびっ子に芥川龍之介の『桃太郎』を読み聞かせてあげると良い。

成人式で暴れまわる新成人など可愛く見えるほどの、桃太郎のDQNっぷりには戦慄する。

桃太郎が鬼退治に出かける理由はあまりにも幼稚で身勝手なものだった。その理由は、おじいさんやおばあさんのように山や川、畑で働くことが嫌だったからだ。

 

陽気で穏安な鬼達の平穏をいとも簡単に踏みにじり、大量虐殺を行う桃太郎一行。降伏した鬼が、虐殺の理由を問うても、勿論納得のいく答えなど桃太郎の口からは語られない。彼自身よく分かっていないようだ。

嫌な言い方をすれば「なんとなく虐殺してみた」程度にすらみえるほどだ。

彼らの純粋なまでのむき出しの欲望に恐怖しつつも、ここから始まる報復の狼煙はそんな残酷な欲望さえも丸々飲み込んでいく。

10ページにも満たない古い短編だが、誰もが知る物語をベースに芥川が描いたものは、決して昔話でも寓話でもない。過去から脈々と続く現代の物語である。

 

 

そして、芥川が描いた殺戮の世界の延長線上に、映画『キングダム』はひっそりと佇んでいる。

一見すると刑事モノやアクション映画の様相を呈しているが(そう見て楽しむことも出来る面白い映画である)、テロの犯人を裁く主人公らの行動はしっかりと子供達の記憶に焼き付いている。

終盤映し出されたテロ犯の遺族である子供の瞳は、いったい何を見ようとしていたのだろう。

正義の執行(報復)をした主人公やアメリカへの新たな報復の誓いなのだろうか?

いや、『桃太郎』では恋をする事すら忘れ報復へ突き進む鬼達が描かれたが、『キングダム』に映し出された子供の瞳のアップはどちらにも解釈する事ができる余白があった。

 

それは観ている私達への問いであり、鬼たちとは異なる未来へ何の根拠も示す事すら出来ない、祈りに似た希望なのかもしれない。

 

それにしても、ペプシネックスのCMはもう作られないのだろうか?実写版銀魂でも話題を振りまいている小栗旬だが、私は彼の桃太郎がまた見たい。