「Nintendo Switchでいじめが減るかも!?」いやほとんど減らないでしょう

 
 
 

私はゲームが好きだが、あまり詳しくないし10年ほどあまりやっていなかった期間もあるため、ボタンをポチポチ押してなんとなく楽しんでいるぐらいの超ライトユーザーである事は予めことわっておかなければならない。

そんな私でも、任天堂の新しいハードの発表には注目していた。

当初噂されていた様々な情報、全てに目を通していたわけではないが、発表されたあの形態には若干の驚きを感じたのは正直な感想だ。それと共に「これはちょっと苦しいのではないか?」と素人ながらにぼんやりと考えた。今後新たな情報やソフトの展開で大きく化ける事はあると思うが個人的に食指がのびるものではなかった。

私の素人感覚の感想はさておき、任天堂の新ゲーム機の発表は期待と落胆が入り混じったものとなったが高い関心の的である事に変わりはない。それは過去の任天堂の様々なハードを顧みると当然の事だろう。そして、任天堂は新たなハードで「遊ぶ事」の定義を更新し続けた(失敗なども含めて)では今回のNintendo Switchは新たな「遊び」を生み出す事が出来るだろうか?

そこで何気なくさネットの海を漂っていると一つのエントリーが目に入った。

www.mikinote.com

takayukimikiさんのブログは何度か拝読した事があり、とても丁寧で面白く好印象だった。

そして今回の内容に関しては、部分的には同意をしつつも違和感を感じずにはいられなかった。それは子供とゲームの関係性の変化についてtakayukimikiさんの認識は若干ずれているように思えるからである。

 

ゲーム機を持っていない事だけが仲間外れの原因?

 

takayukimikiさんの主張は概ね下記のような内容だ。

 

昨今のゲーム機は一人一台所有が前提(ゲームもセーブが一つしかない場合がある)

友人同士の貸し借りが難しいため、余計にゲーム機を所有している優位性が発生しがち

昔からゲームを所有しているかどうかで仲間外れにされる事があり、現状もそういった仲間はずれが懸念されるが、任天堂の新ハードはそれを解消する可能性を秘めている

新ハードはコントローラーが分離するのでコントローラーだけなら3DSなどを貸すよりも貸しやすいので、元々あった「ゲーム機の所有」する必要性が低下し、格差が緩和される

仲間はずれが発生しにくくなるのでは?

 

確かに、ゲームを持っていない事が仲間外れの原因となる事は私もよく知っている。私が子供の時もゲームを持っている子供とそうでない子供の差はあった。だがtakayukimikiさんの主張で欠如している点が二点ある。

 

持っていない事より、頻繁に借りる事への反発

 

一つは、仲間外れにされるのはゲームを持っていないからだけではないと私は考えている。ゲームを持っていないからこそ、持っている子の家で遊んだり借りたりする。これが仲間外れやいじめへと発展する大きな要因ではないだろうか?

これは個人的な経験を踏まえての話になるが、持っている子の家に持っていない子が頻繁に遊びに来てゲームをやりたがる(ずっと見ている)事を、持っている子達は非常に嫌がっていた。酷いところになると親同士の井戸端会議で「~君がいつもゲームしにうちに来るのが迷惑」といったやりとりがなされていた。子供は、こういった親の友達への印象から影響を受けやすい面もある。

また、元々嫌いな子がゲームをやりに遊びに来ているからゲーム云々は関係ない場合ももちろんあっただろう。だが、はじめは好意的に一緒に遊んでいた子が次第に「自分では買わないのにうちにゲームをしにくるので腹が立つ」といった変化を私は何度か目にしている。

 

従ってtakayukimikiさんの仰る貸し借りの敷居が低くなったので格差が若干解消されるのではという指摘には私は同意しかねる。貸し借りの敷居が低くなったところで、人の心にある「私は持っている、あいつは持っていない。いつも私は貸している、あいつはいつも借りに来る」といったものは払拭されないでしょう。寧ろ、貸しやすくなったからこそ「また貸すのか?私がやる時間が減る」が増徴する可能性もある。これはゲーム機に限った話ではなく、ほかのものに置き換えても同じだろう。大人であってもいつも何かを借りに来る人にはうんざりしてしまう人は多いはずだ。子供は自分でゲーム機を買えないから仕方ない、と思えるのは大人になってからで大抵の子供にそういった家庭の事情を考慮するのは難しい。

 

子供が欲しがる現在のゲーム機

 

次に私が考えるもう一つの点は、そもそも今の子供達はゲーム機を所有したがっているのか?という事だ。当然多くの子供はゲーム機がほしいと考えている事に間違いはないと思う。だが、ここで考えなければいけないのは現在のゲーム機というのは3DSなどのようなものだけでなく、スマホタブレットが含まれている事だ。

 

takayukimikiさんは冒頭で

大人が、家でも外でもシームレスにゲームばかりして遊んでいるってのは、想像しにくいことです。今の時代、皆それぞれ忙しいはずだからね。そんなんだったら、通勤途中でも、お気軽に楽しめるスマホゲームの方が需要あるし、それをプレイする姿の方が自然です。

http://www.mikinote.com/entry/n-switch-s

上記のようにスマホゲームについて言及しているが、子供のスマホに関する認識がスルーされている。

今子育てをしている親御さんの中で、幼児期から子供にスマホタブレットを与えている家庭は増えている。つかわなくなったスマホタブレットでも、それを与えておけば勝手に子守をしてくれるからという理由や、明確な学習目的を持ったものなどその理由は様々だろうが、現在の子供は携帯ゲーム機に接する前にスマホなどに接する機会が増えている。(リテラシーの低い子供へのスマホの危険性や料金のため、ゲーム機にする家庭もあるだろうが)

また、多くのスマホゲームは基本無料だ。端末さえあれば、一応ゲームをする事ができ、ネット環境さえあれば新しいゲームをダウンロードし、世界中の人と戦う事ができる。コアなゲームファンや特別な愛着でもなければ、触って反応が返ってくるレベルでもスマホゲームを楽しむ子供は少なくない。

 

そして、私の周囲の子供の変化を付記しておくと、一時期までは何かのお祝いやプレゼントにはゲーム機、特にDSやWiiが選ばれていた。だが、それがこの数年おねだりの品はゲーム機ではなくなった。スマホなのだ。以前、子供にどうしてスマホが欲しいのか聞いてみたところ「皆、持ってるのに自分だけ持っていないから」という返事が返ってきたことも印象的だ。彼の言った「皆持ってる」はさすがに誇張だろうし、親へのおねだりの常套句ではあるが、確実にスマホが子供の中で浸透しているのは間違いなかった。スマホを欲しがる子が全員ゲームをしたがっているわけではないが、重要なのはゲームも出来る点だ。彼らの興味の対象はコミュニケーションであって、その一部にゲームが含まれている。奇しくもNintendo Switchが皆でわいわいコミュニケーションをしながらというイメージは、スマホで事足りる。実際に集まってやるのとスマホでネット上では違うが、その境界があいまいになってきているし、案外その違いを認識したり、違いを楽しめている人は多くはない。意外と「まぁこれでも十分楽しいし」レベルで日々過ごしているユーザーがいる。

現状で子供が欲しがっている「ゲーム機」というのはゲームを前提としてコミュニケーションではなく、コミュニケーションを前提とした「ゲームも出来るスマホ」という選択肢が広がっている点を忘れてはならない。

 

また、友人同士で集まり、生身である事の優位性は確実に薄れていくのではないだろうか?それはtakayukimikiさんが度々主張しているように昨今、子供の遊ぶ場所が消えていっている事にも関係する。場所がないなら、そこで集まらずおのおのが好きな場所、可能な場所でネットを通じてプレーするので十分ではないかと(決して、それは完全な代替とは思えないし、実際に集まっての楽しさを否定したいわけではない、あくまで優位性の低下を指摘したい)。

 

子供が不在の映像がしめすもの

 

ここである意味でtakayukimikiさんの論旨と繋がるのだが、子供は何かを持っているかいないかが大きな格差になる。

そして今の子供はスマホを持っていないと仲間外れにされる(されると思っている)事の方が、ゲームの所有などより大きいのではないだろうか?ましてや、スマホでも一応ゲームができ次第にゲームのクオリティも高くなってきている。子供の遊び場が公園や家ではなく、ネット上やゲーム空間そのものに(並列)移行している。そんな現状で、実際に集まってプレーするゲーム機を持っているかいないかが今後重要な要因に成るとは考えづらい。

 

冒頭takayukimikiさんはNintendo Switchのプロモーション映像の違和感を述べている。子供の不在である。私は寧ろ、その不在こそ実は現状のゲーム環境を打破するための、任天堂が目指す方向性なのだと思う。

任天堂は玩具屋だ。子供に背を向けるはずはもちろんないし、今回も子供に向かっていくはずだろう。だが、昨今の厳しい現状から今までどおりの道程で子供に届けるのは難しい。だからこそ、道順を変えていこうとしているのではないだろうか。

 

wiiやDSがヒットした要因にゲーム以外のソフトや楽しみ方を広めた点が挙げられるだろう。例えばDSで大ヒットした脳トレを筆頭に、勉強や語学、料理、など様々なジャンルのソフトが手軽に携帯端末で体験できた。

ここで重要なのが子供がおねだりする理由をうまく生み出した事だ。ゲーム=悪といったら言いすぎだが、ゲームするより勉強しなさいと考える親は少なくない。そこを逆手に取るように「お母さん、DSはゲームだけじゃくて勉強もできるんだよ」と格好の理由を子供に与えた。これは大きな勝因の一つだと私は考えている。ゲームに詳しくない親にとっては「勉強や脳のトレーニングになるものもあるのならまぁいいか」という具合で懐柔された親も少なくないのでは?

加えてWiiは体を動かすゲームや体の管理、「家族や友達皆で」といったイメージを展開する事で、家でこもって健康に悪そうなイメージを払拭し健全で楽しいものをいう印象付けに成功した。

だがこういった戦略はもはや浸透しきった上に、スマホとネット環境の前では力不足となってしまった。

 

前 述したように、すでに子供にとってゲーム機は私たちが子供だった頃のゲーム機ではなくなってきている。では、プロモーション映像にでてきた青年~大人達は どうだろうか?彼らの多くはすでにスマホタブレットを一人一台所有している。そして、子供の頃から「ゲーム機」に親しんで成長してきた。そんな彼らにス マホゲームとは一線を画す体験としてのゲームを任天堂を放とうとしているのではないだろうか?そして、それはあくまでも初手であり、大人である彼らが主な 購買層になる事で本陣である子供たちへの波及や展開を広げていこうとしているように私には思えた。

今までのように子供がおねだりするものではなく、大人がプレーしそれに影響され子供がゲーム機を体験する。そして子供たちが成長しゲーム機の記憶や体験から、スマホではないゲーム機を購入する、そしてまた自分の子供や家族へと脈々と繋がっていく未来図を任天堂があの映像にこめていると憶測する(成功するかは別として)。

 

おわり

 

takayukimikiさんのエントリーにケチをつけているかのように思われるかもしれないが、彼の主張したい事は理解できるし、同意する部分もある。また、ゲーム機の所有が与える格差は今も存在し、今度も新ハードでそれが「多少」解消されるかもしれないという点にも希望をこめて同意をしておく。彼はそこまで強い意味で書いた事ではないのは重々承知するが、この新ハードによりいじめはほとんど減らないだろう。むしろ、論じるべきは、公園や家が遊び場であった以前までとは違い、ネット空間が大きな場を形成しゲームの所有がスマホへの所有へと移行、さらにはそこで発生する大きなコミュニケーションの問題に子供たちが直面しなければいけないという現状だ。

所有の有無で仲間外れにされるだけでなく、所有した先に新たな仲間外れのがあるかもしれない。

 

takayukimikiさんも仰るようにゲーム機はコミュニケーションツールでもあり、皆でわいわいと楽しめるものだ。ゲーム機ではない、コミュニケーションを前提としたスマホがゲーム機を飲み込み子供たちの求めるものになったのも、やはり人は誰かと何かをする事、繋がる事をずっと欲しているのだろう。