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神山健治監督作品『ひるね姫~知らないワタシの物語~』

 
 
 

先程、早稲田大学内での神山健治監督のトークイベントが終了した。この模様はLINELIVEやニコニコ生放送でも中継され、入念なリハーサルをしたであろう司会進行や、過去作品を振り返りつつ新作情報の公開、新作キャラの着ぐるみ登場、質疑など充実した内容で幕を閉じた。

会場の質問者には笑い男のお面をかぶった男性や中国でアニメ制作をしていて現在日本に留学中の方や、押井監督との関係や違いに関する質問をなげかける方などコアな神山監督ファンがいた。

 

新作『ひるね姫~知らないワタシの物語~』

多くの人は新作に関心を寄せていると思うが、公式特報でも気になる点がいくつか見られるので箇条書き程度に挙げていく。


映画『ひるね姫 ~知らないワタシの物語~』特報【HD】2017年公開

 

何故舞台は岡山県なのか?

今作の舞台は岡山倉敷市児島。どうしてこの舞台が選ばれたのかと疑問を持つ方も多いかもしれないが、トークイベントで神山健治監督曰く「自分は埼玉県秩父市出身で、出身地を舞台にとも考えたが、すでに作品があるので、だったら別の場所でと」

その後西の方へ向かい、舞台として選ばれたのが今回の岡山だったようだ。

監督は秩父市が舞台の作品名を具体的に挙げなかったが、多分『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』か『心が叫びたがっているんだ。』の事を指しているのではないだろうか。

また、瀬戸大橋が見える舞台というのも背景としての美しさだけでなく物語りになんらかの関係があるのかもしれない。瀬戸内を舞台としたアニメ映画としては、沖浦啓之監督の『ももへの手紙』が記憶に新しいだろう。『ももへの手紙』は監督自身のルーツに瀬戸内が関係しているようなので舞台に選ばれたようだ。


2012年4月21日公開 映画『ももへの手紙』予告編

因みに『ももへの手紙』では父親が他界しているため母親と二人で引っ越してきた少女が主人公であるり、妖怪が多数登場する。舞台はあくまでも現実で妖怪が介入してくるという状況だが、『ひるね姫』の場合、父親と二人暮らしの「岡山の今時の女子高生」が主人公であり、夢と現実を往来するような内容のようだ。

両者とも片方の親が不在である事と、その死または何か伝えたかった事や秘密にしている事が解き明かされる事で、家族や親子の関係が変化する展開が共通して見て取れる。

『ひるね姫』の時代設定は近未来で東京オリンピックが三日後にせまっている点も重要な要素であろう。これがどう関わるのか興味深い。

 

ももへの手紙 [DVD]

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 余談だが『ももへの手紙』の母親役は優香が演じている。非常にすばらしい演技で魅力的。夫を亡くし一人で思春期の娘を育てる母親という役を見事に演じている。批判されがちなタレントや俳優による声優活動だが、こういった脇役でもタレントや俳優が演じている事も多く、実はそういったところで魅力的な演技をしている俳優も多い事は気に留めておきたい。

 

影がほぼ無いフラットな描写

特報を見る限りでは人物に影がほとんどなく描かれている。厳密に言うと、自身の影(首の下などにできるもの)は無く、建物によるキャラに落ちた影のみである。このため非常にフラットな印象を受ける。

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人物だけでなく机などにも影が見られない。

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寄った映像でも影は無い。

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建物による影はしっかりと落ちている。

フラットな印象と書いたが、本来二次元である絵をいかに動かし三次元的に見せるか、街という空間を動き回らせるかといった課題をアニメーションは元々抱えている。従って、情報量を増加するためにも影というのは非常に重要な要素であったが、作業量の増加や、影やハイライトの過剰さで画面全体の情報量は増えても実際のリアリティからは逆に遠ざかったり、画面自体が散漫になりがちなためか、それを回避する作風も少なくない。影を減らす事は作業量の低下に貢献する反面、「動かす」という過程においては欠如した情報量をある程度補充しなければ本当にフラットな画面になってしまう(フラットな画面を否定しているのではなく、今作ではフラットになりすぎると背景とキャラとの乖離が大きくなり実存感が薄れ、作品への没入度が薄れる危険性があるため)動画はより高い力量が求められると推察される。

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では影は全くつかないのかというとそうではなく、これは父親が基盤をいじっている手元だが、指先やハンダコテにしっかりと影が出来ている。ここでも情報量のコントロールからこういった表現が選択されたのだと考えられる。このアップで指や特にハンダコテにハイライトや影が無かった場合、観客は一瞬描かれているそれが何か判断し辛い。

それは0.何秒というレベルの認識の差かもしれないが、映像で何かを伝えるという元でその差は大変重く大きい。

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墓参りのシーン。非常に重要なシーンと考えられ、逆光による影が効果的につけられている。ここで見て欲しいのは逆光による影はついているのに、首や鼻の下や服の襟の影などは無く、逆光の影の一部として処理されている。このシーンで全ての影を排除すると逆光である意味も、キャラクターの何かを思っている心情を映し出す事も難しくなり、それは出来ないだろう。かといって、全ての影を細かにつけるとまた情報過多となり、影の無いキャラクターの線画によって、観客がキャラクターの心情へアプローチしやすくなっている。細かな事だがこういった情報量のコントロールは無論、どういった作品でもなされているが、演出者の腕の見せ所であり個性がよく表れる箇所でもあると思う。

 

近年のこういったフラットな作風といえば一連の細田守監督作品を思い浮かべる方が多いだろう。いつか細田監督に関しても書きたいと思う。

 

謎のキャラクターその1

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この青いキャラクターはどうやら現実世界では主人公が持っていた(過去か現在かは不明)ぬいぐるみのようだが、いったいどういう役割なのか全く予想できないが、あえて想像するならば、母親からの贈り物や思い出の品であり夢と現実の往来を補助し、このぬいぐるみの問題(夢の世界での問題)を解決する事が現実に繋がっていくのではないだろうか。

また、手前のキャラクター(主人公?)の服装も気になるところ。コルセットに南京錠がかかっている点からも、なんらかの拘束があるようだ。

 

謎のキャラクターその2

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ハーツ君。この姿を見てベイマックス?と思った人もいるかもしれない。それもそのはず、デザインは『ベイマックス』にデザイナーとして参加したコヤマシゲトさんによるものだからである。

“ベイマックス”のコンセプトデザインを手掛けた日本人・コヤマシゲト氏へインタビュー 「日本の市場ではベイマックスは生まれなかった」 | ガジェット通信

トークイベントでも公開されていたが、どうやら変形するようだ。公開されていた画像では、サイドカーの付いたバイクのような形になっていた。実際、この映像を見てもタイヤやハンドルが見える。変形したバイクに乗って爆走する主人公が、アニメ映画における必須項目と化しつつある「走る」という行為と画面の動的な面白さをどう見せてくれるのか気になる。

 

因みにトークイベントの最後にハーツ君の着ぐるみが登場。監督との写真撮影をしようとするが、入り口ではさまり、教壇と机との間に挟まり、壇上に上がるのにも一苦労。司会を担当していた早稲田大学の学生さんが終始、笑いを堪えるの必死だった様子が微笑ましかった。それに対し冷静に、壇上に上がれないハーツ君を見てデザインの構造上の問題を発見する様子もまた面白かった。

 

おわり

押井監督が繰り返し描いてきた夢と現実という世界だが、それとは全く異なる人間の変化と成長が見られるだろう今作。アニメ映画としてだけでなく邦画史上爆発的なヒット作となった『君の名は。』も夢(実際は夢ではなく入れ替わり)と現実の交差から物語が進んでいくように、現実の問題や世界をそのまま描く事よりも夢を経由する事でアニメ的にも非現実的な演出が可能となり見る人を引き付け易くなる。それは逆に、現実を現実とだけ描く事の難しさを感じてしまう。公開は来年の予定。

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